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豚子さん/浅木

『それでは次のニュースです。死体遺棄容疑で逮捕されている山橋容疑者は、逮捕以来食事を取っておらず、絶食状態が2週間続いています……』

このニュースを知った豚の豚子さんは、心の中で喜んだ。

「まぁ、なんていい人でしょう……食事もとらないなんて……これであたしの可愛い子供の寿命が延びるかもしれない」

ほんの少しでも、世界で消費される豚の肉の量が減るのでは、と期待したのだ。

豚子さんが飼われている飼育場では、ご飯を食べる・子供に乳をやる、の2つ以外はする事がない。
そのため豚子さんは、自分のかわいい子供に囲まれながらも、今日も暇つぶしに夢想を続けるのだ。

豚子さんは、日々、そのキュートでかわいい尻尾を使ってニュースの電波を受信していた。(NHK限定)
だから日本で起きている大抵のことは知っている。最近の日本は、山橋容疑者のことで持ちきりだ。

今日も豚子さんはNHKを受信しつづける。

『殺されたXXXさんのご両親は会見で次のように話しています────許せないです。罪を償って死刑になって欲しい』

豚子さんは一人で呟いた。

「まぁまぁまぁまぁ。それではあなた達も、私を食べる罪をつぐなうのかしら……」

豚子さんは空を眺める。
ここは豚の飼育場だ。空なんて見えるはずはない。けれども豚子さんは知っていた。
トタンでできたオンボロ屋根の向こうには、青空が広がっている事を。

「あなた方の中で、罪を犯した事のない者だけが、この男に石を投げるがよい……」

とある有名なニンゲンが残した言葉……。
ニンゲンは嫌いだ。でも、この言葉は嫌いではない……。


その時!
豚子さんの夢想を中断させる大きな声が飼育場に響き渡った。

「おおぉい、そこの柵に入ってる豚、出荷すっぺ」

ブー。

飼育員は、手前の柵を指差した。その柵内にいる豚たちが、一斉に鳴きはじめる。

ブーブーブー。

沢山の豚の声が響く中、一匹ずつ豚が引っ張り出されていく。
もう誰にも、どこに豚子さんがいるのか分からない。

そして、豚を乗せたトラックは、エンジンをブルルと鳴らし、発車していった。
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テーマ:短編小説 - ジャンル:小説・文学

塔/トントン

<塔へ行け。彼は塔の上で待っている>と声がささやく。か細い、でも執拗な、宇宙から直接、私の頭の中だけに届く声。
 その声は2週間前、電話で彼に「さようなら」と言われた夜から、響きはじめた。「さようなら」・・間違っても言われてはいけない言葉だった。その言葉に対する私の怒りは、熱湯に浸された温度計の目盛りのように、みるみるうちに膨れて上昇し、あっという間に天井を突き抜け、星空に達してしまった。
声は、昼夜の別なく、こそこそと聞こえてきた。時に冗談を言って私をくすくすと笑わせ、時に甘い言葉で私の心をたぶらかし、時に世にも恐ろしい言葉で私を苦痛のどん底に突き落とした。声のおかげで夜はほとんど眠れず、消耗し、普段と同じだけ食べても、げっそりと頬がこけた。もちろん、出社はかなわなくなった。構いやしない。派遣の仕事なんて。他の誰にも聞こえない声が聞こえるという、この驚くべき現象に比べれば、私の給料分など、ごくごくちっぽけな事にすぎない。
声。しかしこれはいったいどういう、何のための現象なのか。もしかすると、考えるのも恐れおおいことだが、この宇宙の摂理をつかさどる、絶対的な何かの指令が私のごとき人間に届くようになってしまったのか。私は選ばれた何かなのか。・・ともあれ、この現象は天の意志であるには間違いない。そう、私と彼の真の絆を、宇宙の歴史に刻印するという天の意志に。私たち二人が永久に手をとりあうことでこそ、世の中は正しく調和するはずなのだ。この骨の髄から湧くような私の信念を宇宙が裏切るはずはない。
<塔へ行けば、すべてが成し遂げられる。そして地球は滅びから開放される。お前は役目を果たさなければならない。今すぐに。さもないと地球は取り返しのつかない事になる・・>声は私を支配し続けた。
 塔とは、夏に彼と一緒に行った熱帯植物園の一角にある塔のことにちがいなかった。あの塔のてっぺんで、潮風に吹かれながら、崖の向こうに、夏の夕日が沈む水平線を二人で長い間眺めたのだ。あのたそがれ時に永遠の不思議をかいま見たと思った。二人の、そして世界の永遠。確実に、厳として、あの塔には宇宙の秘密の鍵が存在する。
 アパートを出、電車を乗り継ぎ、よろよろする足取りで、熱帯植物園まで走った。平日の朝、植物園には訪れる人の姿は一人もおらず、閑散として明るかった。なりふり構わず塔に向かう最短距離を駆け抜けようとすると、入り口で、「切符を買ってください」と窓口嬢にとがめられた。おかしい。地球を救えという天の意思によって塔に向かっているというのに、金銭なんか支払わなくてはいけないのか。それとも、地上のルールを守る事によってこそ、正しく使命が全うできるのか。声は、<従え。従え。この人をも救う事ができるのはお前一人だ>と言う。震える手で、財布から千円札を渡すと、切符を切ってもらった。綺麗に化粧をした窓口嬢がいぶかしむ様子で私の顔を覗き込む。それに一瞥もくれず、私は小走りに走った。<順序を守らなくてはならない。なるだけ秩序を壊してはならない。たとえ、大きな飛躍を間近にひかえていても>と声は命じる。順序か。順路通りに進めということか。矢印の示す温室の中に走りこもうとすると息が切れて、踏み石に躓いて転んだ。靴を履いているのが不自然だという考えが湧いた。そのとおりだ。原始人のように裸足でゆっくり歩いて行こう。この危急存亡の時、焦りはかえって事を仕損じる。靴を脱いで、睡蓮の葉がびっしりと浮いている人工池に放り込んだ。せいせいした気分になった。胡蝶蘭とブーゲンビリアが暖簾のように下がっている戸口をくぐると、温室の中は甘く蒸した香りの迷路だった。「リュウゼツラン、リュウゼツラン科、メキシコ原産、数十年に一回花が咲きます」。「オウゴチョウ、マメ科、西インド諸島原産」。「パラミツ、クワ科、インド・マレー半島原産、世界で一番大きな果物です」。「ゴバンノアシ、サガリバナ科、インド・マレー半島原産」。・・湿気にくらくらしながら、延々と続く温室のコンクリートの歩道を歩いていった。ふわふわした花々の匂いを嗅ぐと、ああ、大丈夫だ。すべてはうまくいくと確信した。彼は待っている。この極楽のような植物園の塔の上に。そして、まだどのようにしてかはわからないが、二人は天に認められ、この星を救うのだ。ふと手近な胡蝶蘭の中からひときわ大きい白い花を摘んだ。彼に捧げよう。人類の跳躍の証として。ゆらゆらと花を揺らし歩くと、塔の入り口まで来た。石の螺旋階段を、ぴた、ぴた、と一歩一歩、上っていった。時折、壁に空いた四角い窓から、冷ややかな風と光が私を襲った。裸足の足がだんだん冷たくなった。しかし彼に再び、決定的に会えるという喜びに、寒さはまったく身にこたえなかった。とうとう地上四階ほどの高さの最後の段を上りきった。さあ、彼に会える・・。
 しかし、塔の頂上では、誰一人私を待ってはいなかった。壁の後ろにもどこにも、彼の姿はなかった。風だけがびゅうびゅうと木枯らしのように吹いていた。
つじつまが合わない。強い疑問が私を襲った。宇宙から届く声が私に嘘をついたのか。<これは、仕方のないことなのだ。必要な試練なのだ。そもそもお前に地球を背負う資格があるか。今まで一度として嘘をついたことはなかったか。邪念を抱いたことはなかったか>声は私を責め、さらに言葉を重ねた。<下を見てみろ。実は彼は海の上にいる。見えるはずだ。そう。見えるだろう。ここから海に向かって飛ばなくてはいけない。そこでこそ本当に彼が待っているのだ。人は飛ぼうと思えば実は飛べるのだ。命を失う事はない。お前は乗り越えることができるのだ。あらゆる限界を>声は叫びとなって頭の中をわんわんと響き渡った。
私は壁をよじ登った。海を見る。彼の姿は、見えない。いや、見える。ほら、波の間に笑っている。私のほうに手を伸ばしている。いや、あれは鳥か。そんなはずはない。彼だ。でも違うかもしれない。それでも良い。飛ぼう。一瞬で宇宙原理は変わる。世界が救えるのだ。・・
「やめなさいっ」後ろから警備服を着た男の人が走りよってきて、私の腰をがんじがらめに押さえ込んだ。強いタバコの匂いがする。彼じゃない。彼は海の上にいる。「うるさい」と叫び、右足で蹴って腕を振りほどこうとした。が、引きずりおろされ、床に倒された。私は警備員の掌に噛み付いた。しかしもう一人警備員が来た。暴れる私を二人がかりで取り押さえようとする。声はまだ頭の中で何か叫んでいた。<滅びがきた、人類は終末を迎えた>・・絶望という言葉が頭に浮かんだ。胡蝶蘭は、私と二人の屈強な男たちに踏みつけられて、無残にちぎり裂かれていった。

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