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バイオリン/火星紳士

 ある時、ふと気がつくと、壁に耳が生えていた。……ミミ?

 梅雨である。

 今年は特に蒸し暑い。エアコン具合も、もひとつ悪い。オレの部屋はサウナの如き有様だった。

 なんとなく、いつもは見ない、後頭部側の壁をふと見ると、壁になんだか肌色のものが付いていた。ニョッキリと生えたそれは、人間の耳に酷似していた。

 ……ミミ?

 一瞬、壁に人が埋まってる!? と思ったのだが、このアパートは鉄筋コンクリートだ。人間が入れるわけがない。近寄ってよく見てみると壁紙が少し破れていて、そこから耳が生えている。なんなのだこれは? 

 見れば見るほど耳そっくりのそれは、人間で言うところの、左耳だ。ちゃんと穴が開いていて、耳たぶもしっかりある。うーん似ている。しかし、気味が悪い。なんだろうこれは? 耳? そんなわけは無いな。しばらく、そのままにしてTVでも見ようかと思ったのだが、なんだか気になる。聞いてる? 耳? うむむ、やはり落ち着かない。

 大家さんに相談すると、「ああ、やっぱり出てしまいましたか。うーん、大丈夫かと思ったんですが、ダメでしたか」「なんなんですか、あれ」「いや、私も、よくは知りませんが、キノコの一種らしいです。食べると旨いんですけどね」「た、食べる?」「ええ、美味しいですよ。味噌汁に入れたり、ちょっと焼いて醤油と生姜で食べるのもいいですね。お勧めです」「そ、そんなにポピュラーなものなんですか?」「ええ、でも、採るのが大変で、なかなか食べられないんですよ」「あ、あの。もういいです」「まあ、最初は皆さんビックリなさいますが、慣れると可愛いもんですよ。美味しいですし」

 オレは大家さんと分かれ。部屋に駆け戻った。冗談じゃないよ! あんな気味悪いものなんか食えるか! 取ってやる絶対取ってやる! 

 オレは軍手をして、耳の除去に取りかかった。そおーっと摘まむ。や、やわらかい。本物の耳より弾力がある。徐々に強く引っ張る。うーん、くそ。取れない。かなりしっかり生えている。もっと強く、うーん。と、取れない。しかたない。カッターナイフで切るか。あまりやりたくなかったが。耳を左手で摘まみ、カッターナイフの刃を耳の付け根にあてる。ご、ごめんな。なんか、そんな気分だ。目をつむって、グイと力を入れる。ん? 切れない。なんだこの弾力。くそー。オレはムキになってカッターをグイグイと前後に引いた。うー、このこの! 切れろー! プチ。やった。少し切れた。一気に力を入れて耳を引っ張る。うーん、ブチ! やった取れた。しかし生えていたところから黄色い汁が垂れている。うーんグロテスク。食べる? これを? オレは耳をティッシュペーパーに包んでコンビニのゴミ箱に捨てた。

 三日後、耳は3本に増殖した。黄色い汁が垂れたところに生えたのだ。なんだこれー! オレはまた耳を取りコンビニに捨てた。そして今度は念入りに壁を拭き、洗剤で何度もゴシゴシと擦った。これくらいやれば大丈夫だろ。くそー。なんなんだいったい。

 また三日後、今度は9本生えてきた。耳ー! くそー、こいつらは採れば採るほど、増えるのか。しかし、採らねば気になるし、第一落ち着かない。何をやっていても、ずっと聞き耳を立てられているようだ。なぜそう思うかというと、たとえばエッチなビデオなどを見ていると、妙に耳達に緊張感がはしるのだ。中には赤くなる耳もいる。気のせいかもしれないが、そうではないかもしれない。うーん、これでは、なにも出来ぬではないか。困り果てたオレはしばし考えた。

 そうだ。音楽を流せばいいのだ。大音量でガンガンかければ、他の音は聞こえない。そう思ったオレは、早速実行した。ふっふっふっ、昔なつかしのヘビーメタルをかけてやる。ドリャー。ハハハハ、どうだこの強烈なギターサウンド。何も聞こえないだろう。ふはははは。うーん、オレも聞こえない。TVも何を言っているのかわからない。そうか、ヘッドホンを付ければいいのか。さっそくそうして生活した。が、ずっとヘッドホンを付けてると耳が痛くなる。うーん。もっと、穏やかなラウンジミュージックでもかけるか。その時、ふと気がついた。壁の耳がノッテイルのだ。ヘビーメタルにノッテイル? リズムにあわせて動いてる。ほんのちょっとだがビートにあわせて揺れているのだ。こ、こいつらは本当に耳なのか? 気になったオレは、もっと他の曲も聞かせてみた。ロック、ジャズ、ポップス、民謡、フォークソング。やはり、反応がある。それぞれ好みがあるようだが、総じて音楽が好きなようだ。クラッシックをかけてみた。おお、皆心地良さそうに、ゆったりと揺れている。

 それから1週間くらいして耳は101本に増えた。しかし、不思議だ。だんだん慣れてきた。今ではなんだか、本当の耳のような気がしてきた。おーいとか、元気かーとか、声をかけると、わずかだが反応する。共鳴かもしれないが耳たぶがプルプルと振動するのだ。仕事の愚痴も話すようになった。楽しい事があっても話した。いつのまにか憩っていたのだ。そうだ。オレは、こいつらのために音楽をやろう。楽器をマスターするのだ。こいつらは音楽が好きだ。オレの弾く楽器でこいつらと話せたら。

 そう思ったオレはすぐに楽器を買ってきた。バイオリンである。耳達の音楽の好みはバラバラだったが、クラシックがもっとも平均して受け入れられたのだ。

 オレは教則本を見ながらバイオリンを弾いた。気分は屋根の上だ。キーキー、キコキコキーキー。うーんすばらしい。昔ギターを少しばかりやったから、運指は問題ないはずだ。キーコキー、キキキキーコ、ギー、グギギギギー。グギギギギー。むむむ、バイオリンの弓は難しい。うまく音がでないではないか、馬の尻尾の毛で出来ているらしいが、ダメな馬なんじゃないか? やはり安物はいかん。ギーゴゴゴ、ギーゴーキキギゴー。ギー。あっ、耳が。

 ポト、ポト、ポトポトポトポト。耳が壁から落ちてゆく、どうしたんだ。お前たち! オレは耳達に駆け寄り、両手で救い上げた。シオレテイル……。ポト、ポトポト。ドンドン落ちる、次々と落ちてゆく。どうしたんだー!

 耳はすべて壁から落ちた。そして、もう生えてこなくなった。

 濃い青空が広がった。いつの間にか、夏になっていたのだ。

後日、このことを大家さんに言うと、暫くたって大家さんの家からバイオリンの音が聞こえてきた。ヘタクソだ。そうとうヘタクソだ。今夜はきっと、耳鍋だろう。大家さんの笑顔が目に浮かぶ。

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壁に耳あり/なら

「民族ことわざ体験館」はポコペン共和国の隠れた名所であると聞いていたので、到着したその日にさっそく行ってみたのだが、そこは大きなビルが建っているだけで、情緒豊かな民族村みたいなものを想像していた私には少し期待はずれだった。

 中に入ると、ちょび髭を生やした嫌味なダリ風な紳士が、きざなサングラスにフロックコートで向かえてくれた。
 「ここは、ことわざを体験できる場所です、お好みのことわざはありますか?」諺の体験って変な表現を使われてちょっと笑ってしまった。
 
 「そうだなぁ、じゃぁ 壁に耳あり をお願いします。」とっさに思いつかなかったので、そんなものを頼んだのだが、それが諺なのかちょっと頼りない。
 「かしこまりました、そこでしばらくお待ちください」
そう言うと彼は私を廊下にある椅子に案内した。入場料は15万ポコペンもしたのだからもっと豪華な待合室を想像していたのでちょっと心外だった。
 
 椅子に座って待っていると、廊下をぞろぞろとスレーブの連中が通っていった。ご存知のようにポコペン共和国は奴隷制の国で、街のいたるところでスレーブと呼ばれる奴隷を見かけるのだが、この集団は100人はいようかという大集団で、こんな大勢一緒にいるのは初めて見た。彼らは軍隊風に顔を正面に向けて行進しているのだが、どいつもこいつも恨めしそうに私も見ていくのだ。それも顔を動かさないで右顔の右目を思いっきり寄せて睨むのだ。多分、外国人に奴隷の辛さを教えようとして、同情をひいているのだろうが、そんなことをされても困る。わたしも、年末のユニセフへ奴隷救済募金をした事もあるのだから、恨めしそうに見るのは筋違いだと思う。
 
 「お待たせしました、こちらへどうぞ。」そんなことを考えているとさっきの案内係が戻ってきた。
 案内されたのは、広い体育館の真ん中で、そこにドラマのセットみたいな部屋が作られていた。多分リクエストに合わせてあわてて今作ったに違いない、四方の壁の外側は色もつけてなくてベニヤ板の地肌がむき出しになっていた。 
 とりあえず、中に入ったのだが、入ってびっくり。そこは、安キャバレーみたいな桃色電灯の薄暗い部屋で、の四方の壁には耳がびっしり貼ってあったのだ。ちょっと諺の意味を誤解しているようである。異様な風景ではあるが、じっと見ているとばかばかしくて笑いがこみ上げてきた。「近くによって触っても良いですよ」と案内係の声に誘われて近づいてみた。
 こわごわ触ってみると、こりこりしていて、妙に生暖かい。
   ナ・マ・ア・タ・タ・カ・イ?!
あれ?と思って、思わず耳たぶを口に含んでみた。覚えのある、このこりこり感。(興奮している場合ではない)力を入れてみるとプチと音がして、少ししょっぱい味が口に広がる。あわててぬぐうと手の甲に赤いものがついた。
 はぁ?!と思って良く見ると、耳はどれもこれも形が違っている。血がこびりついているものもある。しかも、その血はたらたらと半分くらい流れて固まっていた。
 その時完全に理解したのだが、すべて本物の耳なのだ。この耳はまさに今そぎ落とされて壁に貼り付けられたものなのだ。そしてそれらはおそらく、さっきのスレーブの集団の左耳に違いない。彼らは私に右顔しか見せなかったのだが、きっとその反対側は、耳が切られて血まみれだったに違いない、激痛に耐えながらその原因となった私を恨みを込めて睨んでいたのだ・・・ぞっとして、足ががくがく震えてきた。
  「お客さん、堪能されましたか?」案内係りがにっこり笑って私に話しかけてきた。
 「も、も、、もう結構です」
 「ありがとうございます。次はサービスで 障子に目ありの部屋をご案内します。」
「し、し、障子に目ありって、そ・そ・れって・・・」僕は腰が抜けてしまった。

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みみのじっけん/chitoku

ある8月の午後でした。プールから帰ってきたご子息は、頭を真横に傾けて、片足でぴょんぴょん飛び跳ねながら、私の前を知らん顔で通り過ぎたのです。いつもは私に多少でも声を掛けて、あるいは抱擁してから玄関に向かうご子息でしたから、私は嫌な予感がして気を揉んでいたのです。
夕食前の散歩の時間になると、ご子息がいつものように出てきて、私の頭をなで、しゃがんで抱擁するものですから、私はすっかり安堵して、力いっぱい尻尾を振っていたのです。
「実験するよ」突然ご子息はそう言って、グレープジュースの入ったペットボトルのふたを開け、片腕で私を抱擁したままペットボトルの飲み口を私の耳にあてがったのです。はっとして、私は激しく首を振り、ご子息の顔を見つめましたが、ご子息は私の首輪をきっちり握ったまま、私の耳と耳の穴を凝視して「実験、実験」とつぶやいているのです。
常日頃お世話になっているご主人のご子息であり、私を親友と呼んでくれるご子息のご希望、出来れば叶えてあげたいと思うのですけれども、耳にジュースなど聞いたことがありません。とにかく私はイヤイヤを続けるしかなかったし、ご子息は執拗に私の耳の穴を狙ってペットボトルを傾け、また狙っては傾け、気がつくと私もご子息もジュースでべたべたになり、グレープジュースの甘ったるい臭いで私の鼻は麻痺しかかっておりました。
「ああ、もう!×造!」ご子息は、苛立ちが極みに達してか、仁王立ちとなり私を見下ろしながら、ペットボトルを咥えてジュースを口に含ませました。私は、ご子息の怒りを理不尽に思いましたが、このような状態では体が勝手に反応してしまいます。私は何故か、伏せの姿勢で、ご子息の次の行動を、半ば予想できてはいたのですが、じっと見守るように待ちました。
するとご子息は、膝を着いて私に覆いかぶさってきたのです。もちろん、いつもの抱擁と違って、口に含ませたジュースを私の耳の穴に注ぎ込む為の押さえ込みだったのです。
「実験」のなんと恐ろしいことでしょう、こうなると私どもは手も足も出ないのです。ましてや私のような老犬がご主人のご子息を噛むなどということは決してないのです。私の不思議な本能は、一切の抵抗をやめたのです。ついにご子息は、私の耳の穴に口をつけ、ちゅるると私の中に甘ったるいジュースを注ぎこんだのでした。
…私の耳は、温かいもので満たされました。耳の穴に液体が流れるのを感じました。想像したほど、痛いことや恐いことではなかったと思いました。ご子息が私の耳から離れると、耳からジュースが首をつたって流れました。
「実験」をやりおおせたご子息は、私から少し離れてしゃがみこみ、私の所作を観察しているようでした。
ああ!次の瞬間、殆ど同時に、私とご子息は、私の股間の熱い猛りに気がついたのでありました。
ご子息は、目をまん丸に開いて、私の肉茎を注視しておりました。私は、恥じて丸くなるべきだったかもしれませんが、実はとても興奮していたのでした。去勢されてから数年、完全に忘れてしまっていた、私がオスであったという事実!
それにしても、何故こんなときに堅くなったのか、去勢された老犬には知るすべもないのです。恐らくそれは、私の股間に見入っているご子息の、次なる「実験」のネタ…。

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底なし耳/かもねむ

暗闇の中で、眼の前に女の裸体がある。今から俺とこの女は抱き合うだろう。しかし俺はこの女にまるで興味がない、この女の持つ「耳」以外。
俺の仕事は映画監督だ。何本か撮った自主映画が話題になり、一本だけ売り出し中の俳優を使い商業映画も撮った。興行的には全く成功しなかったが、何人かの評論家には高い評価を得た。何年か前に。最近、細かい記憶が曖昧になっている。一緒に仕事をする予定のプロデューサーから、次回作のテーマのようなものを確か与えられていたはずなのだがよく思い出せない。そういえば、往来の人間の何故か「耳」ばかりが気になるようになったのは、いつ頃からだったろう。他人と話をするのが億劫になり、駅のベンチで道行く人の耳ばかりを眺めながら一日を過ごす事が多くなった。耳という部位はグロテスクな形をしていると思う。まるで耳穴の内側から真っ赤な内臓がドクドクドクと流れ出し、それがそのまま冷えて固まったかのような形をしている。悪魔の嘲笑のように引きつったままの耳や、逆に能面のように無表情な耳もある。耳という部位は単に聴覚の入口なのではなく、何か人間を不安に陥れるような側面がある。俺はこの何ヶ月間で何千人何万人分もの耳を見ているうちそう思い至るようになった。
そして今夜いつもの駅で、前触れもなくその耳を見つけた。俺は女の後を追い、交差点まで来たところで女に、いや耳に声をかけた。俺の眼に狂いは無かった。その女の耳にグロテスクさは微塵もなかった。いや正確にはグロテスクさが芸術の域にまで高められているのだ。ホテルのバーでたわいもない話をしながら俺は隣にいる女の耳ばかりを見ていた。その耳は、昔AIDSで死んだ写真家の撮影したユリの花の写真に似ていると思った。死を目前して儚くも燃え立つその花のような美しさに、俺はヨダレが垂れそうになった。
今、部屋で裸になった女の耳だけがおれの眼の前に横たわっている。耳だけだ、暗闇の中で浮かび上がっているのは、もはや女の耳だけだ。いくつかのなめらかなカーブを描きながら隆起した耳。その曲線には一つとして無駄がなく、そしてすべてに意味がある。(俺にはそのすべてが理解できる。)そして耳の外側から奥の穴に向かって、一筋のなめらかな美しい螺旋がある。躊躇なく俺は自分の舌をその螺旋に添わせながら奥に向かって進める。するとどうしたことだろう。俺の湿った舌先がどんどん耳穴の中に入って行くのだ。ゆっくりゆっくりと俺の舌全体は耳穴の中に深く潜入し、同時に俺の全身も穴に吸い込まれるように、キリキリキリと凝縮されて行く。体中がひどく痛む。気がつくと俺は全身穴の中に入り込んでいた。中は真っ暗だ。なおも続く激しい痛みと自分の唾液の放つ臭気に耐えながら暗闇の中をあてなく突き進む。やがて人の気配を感じた。どうやら映画が始まるらしい。隣にいる男に尋ねると、「人間の五感を、それぞれテーマにした五つの短編映画」との事だった。実は当初予定していた映画監督が製作中に精神を病んでしまい、代役としてこの映画を監督したのが彼なのだという。
映画の始まりを告げるブザーが鳴り響く。まず五感の内の「聴覚」をテーマにしたという一本目が始まるようだ。
暗闇からスクリーンいっぱいに巨大な耳の映像が、ぼんやりと浮かび上がった。

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秘密の耳/エフ

 お母さんの財布から五百円盗ったんだ。
 弟の吐く湿った息が、わたしの左耳の産毛を揺らす。わたしの左耳には弟のささやきは言葉として聞こえずに、夜の波の音の様に聞こえた。
 聴力をほとんど持たないわたしの左耳は、ささやき声など拾わない。ただ、静かな波の音が聞こえるだけだ。
 弟がささやいていることは、吐息でわかる。弟の吐息は雨の匂いがする。
 目の前の、湿気を吸ってぼんやりとしたふすまを見つめる。弟が黙り込んでしまうと、弟とわたしとでこもった押入の中は呼吸する音で満たされる。弟の、緊張したような不規則な呼吸音が愛おしい。
 しばらくの間二人で黙り込んでいると、少し息苦しくなった。しめきった押入の酸素が薄くなったのか、それとも弟の吐く息の雨が満ちてきたのだろうか。
 少しだけ押入のふすまを開けると、雨音が聞こえた。左耳で聞く波の音に似た、けれどそれよりもずっと激しい雨の音だった。
 押入の隙間から見える窓の外は、まだ夕方だというのに夜中のように暗い。耳を澄ませば、近くを流れる川の音が聞こえるような気がした。一昨日から降り止まない雨のせいで、きっと水かさが増しているだろう。
 押入の中は、狭く暗く湿気ている。体育座りをした膝の裏に汗をかいて気持ちが悪い。
「僕、盗ったんだ」
 左耳に波の音が聞こえる。さっきよりも大きな声を出したらしい。右耳で、少し言葉を拾った。聞こえない左耳の側でささやかれると、暗い押入の中のどこから聞こえてくるのかわからなくて奇妙な気持ちになる。
「さとしくんが」
 持ってこいっていうから。弟がささやく。
 近所に住んでいる、弟よりも二つ年上の男の子の名前が聞こえた。わたしよりも二つ年下の、子どもらしく元気で、子どもらしく横暴で、子どもらしく乱暴なところのある男の子だ。
「それで、今日」
 そこまで言って、弟が黙り込んだ。弟の不規則で浅い呼吸音が聞こえる。
 わたしはこの小さくか弱い弟が、ただただ愛おしかった。
 お姉ちゃん。弟がささやく。
 声は聞こえなかったけれど、何と言っているかわかった。
 弟が押入の中でわたしの左耳に告白するとき、言葉に詰まるといつも、お姉ちゃん、とすがるような声を出す。左耳の産毛は、お姉ちゃん、という言葉の吐息の強さを覚えている。
「落としちゃったんだ」
 弟の声が、外から聞こえる雨音のせいか、いつもより大人びた声に聞こえた。
「川に」
 さとしくんを、落としちゃったんだ。
 弟がささやく。弟の吐息は、湿って温かな雨の匂いがした。

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