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涙/トントン

 会社を出た途端、こみあげてきたので、慌てて顔を上に向けたら、秋の月の光がさえざえと脳天をつらぬき、その衝撃に、かえっていきなり、ぬくいものが頬を伝い始めた。
 結局、下を向いて電車にゆられていると、さきほど上司に言われた言葉が、いつまでもぐるぐると鳴り響くのに閉口してしまった。一生懸命ってだけが自慢じゃ、話になんないんだよっ、話になんないんだよっ・・
 十年、仕事だけに懸けてきた。何時間残業しても構わなかった。結婚はしておらず、恋人もいなかった。仕事に身を焼かれて死ねれば本望だと思っていた。だが去年、部署が変わると、朝、体を起こすのがつらくなった。仕事の意味が見えづらかった。全力を注いでも、届かず、砕け、失敗が残った。上司には目の敵にされ、きついことばを投げかけられた。気がつけば、相談できる友人は一人としていなかった。
涙は両の目から、さらさらと流れていった。ハンカチを当てながら、へんに、なっちゃった、と鼻をすすって、くすりと笑った。
 母が一人待つ家にこのまま帰るわけには行かなかった。こんなときは飲みに行こうかとも思ったが、今夜は飲むとどうなってしまうか見当もつかなかった。
最寄り駅から2つ前の駅で降りてみた。喫茶店でなにか、ココアでも口にしたら、落ち着くかもしれない。
 改札を出ると、流れ行く人々の足元にチカッと光るものを見つけた。洋服のボタンかなと思った。でもボタンにしては派手な色だった。人の隙間を縫って近寄り、すっとしゃがみこんで拾い上げると、それは小さなコガネムシだった。生きているようではあったが、動かなかった。せわしく行き交う人々の群れから離れ、金緑色に輝く虫にみとれて立っていると、いつのまにか、涙が止まった。
 どこか草むらに放して帰ろう。コガネムシをそっと手の平で包み、駅の階段を下りる途中、もう一匹、同じように小さいコガネムシが転がっているのを見つけた。白い内臓がはみ出していた。階段を降りきると、さらにもう一匹、金緑の羽を割られて、平らになっていた。一つの駅にこんなにたくさんのコガネムシが集まっていたのか。全部、拾いあげたかったが、死骸はただの死骸だ。もう救う事はできない。この虫たちは、駅のまぶしい明かりに誘われ、遠くから飛んできては、喜びもつかの間に、人々にぶつかり、もまれ、潰されて、死んでいったのだ。
 先ほどの、まだかろうじて生きているコガネムシを、なんとなく温かく感じながら、軽く握り、道を歩いた。しばらくして住宅地まで来ると、公園の暗い茂みがあったので、その草の上にコガネムシを放とうとした。手の平を開くと、虫は急にぞわぞわと足を動かし指に絡みついた。ことのほか、力のある細い足の動きに、一瞬、ざあっと身の毛がよだった。思わず腕を乱暴に振って虫を振るい落とした。本当は、あんたなんて、大嫌いなのよ、
 そう心の中で叫んで走り出すと、左足に、ぷつっ、と感触を覚えた。あ、と思うとコガネムシを踏み潰していた。ついさっきまで、大事に、大事に、運んできたはずだったのに。その場にしゃがみこむと、腹の底から声を絞り出し、身を震わせて泣いた。涙は堰を切ったように溢れた。あとからあとからほとばしり、もう止むことはなかった。
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テーマ:短編小説 - ジャンル:小説・文学

せんべろ 富んちゃんの恋/輔

「シンちゃ。残波。残波のミゥク割りひとつ」
泡盛の残波をミルク割りで、ということだ。富んちゃんは「ミルク」じゃなく「ミゥク」と発音する。定位置は入ってすぐ正面のカウンター。残波のミゥク割りは富んちゃんのオリジナルだ。そんなメニューは無いけど古くからの常連だから店の人間も黙って出す。1杯400円。
俺が働くこの店は昔は酒屋の角打ちだったらしい。今は安くてそこそこうまい人気の立ち飲み屋。いつも早い時間から混んでいる。
富んちゃんは「せんべろの富んちゃん」と呼ばれている。「せんべろ」は「千円でべろべろに酔える」って意味だ。富んちゃんはいつも酒とつまみできっかし千円。それでいい気分になって帰る。常連たちは今日はどの組み合わせで千円にするのかを、ちょこっとだけ気にしながら自分の酒をやっている。
「サラダ。しらすの」
しらすサラダは200円。グラスいっぱいの残波ミルク割りとレタスいっぱいのサラダは一見すると健康的な朝食メニューのように見える。富んちゃんが来るのはいつも決まって火曜日と金曜日。時間は6時半くらい。富んちゃんは多分、独身だ。仕事も何をしてるのかわからないけど、分厚い爪に染み込んだ黒い汚れ、日に焼けた首、太い腕。袖や襟が擦れた作業服。汗じみて色褪せたキャップをいつもかぶっている。結構きつい仕事をしてそうだ。以前、常連じゃない客が富んちゃんの注文を聞いて「ミゥク」なんて外人みたいだな、とからかったことがあった。そしたら「おいらが子供んころはアメリカだったさ」とつぶやいて少しだけ悲しい顔になった。常連たちはなんとなく察してるし、その人が言いたくないことは誰も聞かない。子供の頃はアメリカだったせいなのか、おからやひじきといった日本のおふくろの味的なメニューを注文してるのを見たことが無い。
「ツナクラッカーちょうだい」
ソーダクラッカーの袋を開けて皿の片側にのせ、もう片側にマヨネーズ和えのツナを盛る。なんてこと無い感じだけど、意外にどんな酒にでも合って人気メニューだ。200円。
この店のメニューはほとんどが100円単位だけど、生ホッピーとサワー類はそれぞれシングル270円、280円と半端だ。富んちゃんはホッピーやサワーが好きじゃないんだと思ってた。だけど嫌いなのは10円玉の方らしい。アメリカのペニー硬貨に色が似ていて嫌いだと。思い出すからイヤなんだと。何を、とはそれを聞いてた常連も聞かなかった。思い出すのもイヤなことは聞いちゃいけない。酒がまずくなる。飲み屋での一番の、そして唯一のルールは酒がまずくなるようなことはしない、ってことだけだ。
「煮たまご、今日はある?」
煮たまごは100円。富んちゃんの好物だけど人気メニューだから売り切れのことも多い。
この日も売り切れ。
「もっとたくさん作るといいよ。やっこ、ちょうだい。それと塩らっきょ」
それぞれ100円。これで千円きっかし。食事代わりなんだろう。酒一杯に対してつまみは多目、野菜も多目。意外に中年の呑み助は食べ物に気を使っている。
そんな富んちゃんが恋をした。富んちゃんは何も言わないけど常連はみんな、そう思った。おかしいくらいバレバレだった。お相手は幸子さんだ。半年くらい前からぽつりぽつりと来るようになった。幸子って名のヒトは幸薄い人が多いって言うけど、ご多分に漏れず幸子さんもそんな感じだった。痩せて青白い顔、艶の無いおかっぱ頭。特に目の下のクマは酷く疲れて見えた。幸子さんは金曜日だけ来る。一週間の疲れを労うように抹茶豆乳ハイのシングル280円を一杯だけ飲んで帰る。「お願いします」と100円玉を3枚、カウンターに置いて、「すいません」と言ってグラスと10円玉を2枚受け取る。すするようにゆっくり、ゆっくり酒を飲んでいく。良く見ると結構美人なのに、幽霊みたいに見えた。そんな儚げな雰囲気に富んちゃんが、惚れた。入口近くの場所を常連は嫌う。次から次に客が来て落ち着かないから。でも、幸子さんの定位置はそこだ。富んちゃんも元々そこ。最初から場所的には近かった。それが金曜日の富んちゃんは入口の対面に移動するようになった。隣は照れくさすぎる。しかも相手が見づらい。対面なら幸子さんの様子を伺うのに都合がいい。ある週の金曜日、幸子さんが現れなかった。そのときの誰が見ても落ち込んでいた。まるでしおれた菜っ葉みたいだった。はじめはおもしろがってちょっかい出していた常連も、あまりの沈みように掛ける言葉も無かった。翌週の金曜日、幸子さんがいつもより更に青白い顔をしてやってきた。カウンターの中からお調子もんのタクがグラスを洗いながら常連たちの思いを代弁した。
「幸子さん先週来なかったじゃないすか。みんな心配してたんすよ。特に富…」
「タぁーク!!」
富んちゃんが遮る。静観していた常連たちが堪らず口を出した。
「おめ、富んちゃんよ、先週のうなだれようったらオレら見とれんかったぞ」
最古参のタケ爺がツブ貝の身を器用に引きずり出しながらつぶやいた。
「おうさ。タケ爺の言うとおりでよ。ここは、ほれ、当たってみい」
長い眉毛が目にかかるソウさんもループタイを直しながら続く。富んちゃんは口を真一文字につぐんで真っ赤な顔をしている。幸子さんはよほど疲れてるのかほとんど反応がなく、青白い顔のままだ。他の客のざわめきが聞こえなくなるくらい緊張した空気がカウンターのこの一角だけに流れた。
「…シンちゃ」
「はいっ!」
「ま、抹茶ミゥクハイ、シ、シングルを…幸子さん…に…」
「はいっ!抹茶ミゥクハイひとつ、いただきましたぁ!」
この日富んちゃんはいつもの残波ミルク割り400円とピザ300円、サラダ200円を既に頼んでいた。ポケットから百円硬貨を3枚取り出しカウンターに置く。抹茶豆乳ハイはあっても抹茶ミルクハイはメニューに無いんだけど、富んちゃんの恋のためだもの。
「幸子さん、これ、あちらの富んちゃんからです」
「え、あの、え?」
富んちゃんは長いまつげをしばしばさせながら、赤い顔して俯いている。富んちゃんと幸子さんの間に並ぶ常連たちはニヤニヤして幸子さんを見ている。ほんの少し、幸子さんの頬に色がさした。
「あ…いいのかしら?」
常連たちが勝手に深々と頷いた。
「すいません…いただきます」
細い幸子さんの指にグラスが重そうだ。持ち上げずにカウンターに底をつけたままひとくち、飲んだ。
「よしっ!」
タケ爺の心の声がつい、漏れた。富んちゃんはまだ下を向いている。
「富んちゃん、お釣り」
10円玉を2枚、富んちゃんの前のカウンターに置くと、富んちゃんはその20円を無造作にポケットに突っ込んだ。
「シンちゃ、ありがとな」
そう言うといつものように終わった器をカウンターにあげた。
「さよなら、おやすみ」
常連たちに挨拶すると、幸子さんにも軽く会釈をして店を出た。その背中がちょっとカッコよく見えた。

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11歳の偏執/ちとく

布団の中で少年は、剥けそうなチョメゾーの包皮を、必死で先へ先へと集めていた。触ると痛い中の肉のこと、剥がすと出てくる臭い垢のこと、風呂場で剥くと湯が腹の中に入ってしまいそうな不安などについて、いつか本当の父親が教えてくれる筈だった。
少年が寝室から出ると、洗面所周辺は、父親の整髪料と煙草の匂いで充満していた。
少年は、寝床に入ってもすぐには眠れない性質で、必然的に朝は寝覚めが悪く、いつも両親どちらかの怒鳴り声で目を覚ましていた。既に着替えの終わっている妹を尻目に、少年は父親に気を使った。「お父さん、お早うございます!」ところが父親は少年に甘くなかった。「いつまで寝てんだ、この馬鹿!」
父親は、母親の支度が遅れると、自ら台所で茶を淹れた。母親にとってそれは当てこすりであり、たいてい「私がやるから向こうへ行ってて」と憤った。父親は、待ってましたとばかりに怒鳴った。「お前がやらんからやってるんだよ、なんだその態度は、この馬鹿!」
負けん気の強い母親は、「悪うございましたっ」と吐き捨てて少しも悪びれず、父親を無視して子供たちの着替えを出したり、ベランダの洗濯機と風呂場をこれ見よがしに往復していた。
先に起きていた妹の忘れ物チェックを済ますと父親は、しばらく便所に引きこもった。そのタイミングで、毎朝少年は食卓に向い、焼き冷ましの食パンなどを齧るのであった。
どんなに時刻が逼迫しようとも、朝食を残さなかった少年は、小学校の遅刻が日常的であった。少年にとっては、先生に叱られるより、食卓に出された朝食を残さないことの方が大事だったし、両親もそれを咎めなかったからだ。
「紙がねえぞお!」
便所のドアに、中からチリ紙置きがぶつけられて、一瞬、朝の慌ただしさが止まった。少年は、チリ紙を取りに行こうとしたが「いいから食べなさい!」と母親に制された。母親は、なおも悪態つきながらチリ紙の入っている押入れを開けた。「早く持ってこい!」再び父親がヒステリックに怒鳴った。
父親が便所から出ると、「おしっこ」とわざわざ口に出して、少年は逃げるように便所に入った。
父親の後の便器には、いつも吸殻が捨ててあった。少年は、チョメゾーの先を吸殻に向けた。小便が飛び出す直前、下を向いた包皮が皺を伸ばし、マンガの蛸が口を尖らすように少し伸びた。「行け」と小さく呟くが、包皮で小便がシャワー状になるので、少年は少しだけチョメゾーの先を剥いた。
小便は的確に命中、吸殻は平たい便鉢から押し出されて、金隠しの溜め水に落とされた。少年は、力を込めて、残り少ない小便を吸殻に命中させ続けた。くるくる回っていた吸殻は、やがて紙が破れてフィルター部分が分離し、刻まれた煙草の葉が溜め水一面に散らばった。
事を成し終えた少年は、小便のついた包皮を先へ先へと丸めて下着をはき、貯水タンクの洗浄レバーに手をかけた。
「ゴゴー」と呟きながら少年は、父親の捨てた吸殻が便器に飲み込まれていくのをじっと見ていた。
「いつまでやってんだ、この馬鹿!」少年が便所から出ると、父親は靴を履きながら罵った。その時そこには、母親も妹もいなかった。「いってらっしゃい」少年は、父親が出て行くまで一人でそこに立っていた。
本当の父親が現れにくくなっては困ると考えて、少年はいつも、父親に気を使っていたのだった。

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破水/でんでら

カズネは男に抱かれながら自分の親指の爪を噛んでいた。苔むした土が背中にあたり、じっとりと素肌をぬらす。遥か高い場所でブナの梢がゆらりと揺れているのが見えた。梢の隙間から珍しく真昼の日差しを吸い込んだ、蒼い夏の空が見えた。
アリアケ山の中腹に広がる森は、霧に覆われていることが多かった。土にも岩にも幹にも黄緑色の苔がびっちりとはえている。まるでヒスイの玉の中へ閉じ込められているようだ。
震えるカズネの指を男がそっと唇から離した。リクだった。遠方へ塩を運ぶ、塩運びたちの護衛を務める青年だった。指先からかすかに血の臭いがした。さっき殺した二人の間者のものなのか、一緒に旅をした亡命者の血の臭いなのかわからなかった。リクの唇が重なる。経験したことのない肌触りにカズネの体はこわばった。
   □
カズネの両親は塩運びを生業としている。住んでいるタナミネの山で採れた塩を、南の海まで続く街道沿いの宿へ届けるのだ。そして帰りは海塩を背負って帰ってくる。それを山間の集落に届ける。カズネも十二歳になると家業を手伝い始めた。カズネは一度通った獣道をしっかりと記憶している少女だった。他の運び屋たちが気がつかないような植物を覚えていて、山で遭難しかけた一行を救ったこともある。まさに天職だった。
その腕を買われて政変に敗れた落人(おちゅうど)を、山向こうの土地へ逃がす役目を、塩運びの長から頼まれた。塩運びの裏仕事を十六歳の少女が決行するなどとは、誰の目から見ても無謀だった。カズネの父親は、西の山脈の麓に住む連中に任せたらいいじゃないか、と猛反発した。だが双方の集落では、春先に都で流行した熱病が襲いかかり、長老から落人逃がしの許可を得た者は、他界したか死線をさまよっていた。落人の婦人がそっと包みを開けた。「これで熱病のお薬でも」ろうそくの火で黄金が一瞬きらめいた。その場にいた全員が沈黙した。タナミネは都の氏族の支配下にあるため、安値で指定された宿に山塩を売り、高値で海塩を購入せねばならなかった。乏しい資金では購入できる薬にも限りがあり、幼い子は「間引き」と称して放置された。「……あたし、やるよ」カズネは呟いた。
それでも父親は躊躇していた。未経験者は経験者と組んで初仕事を行うからだ。話合いの末、護衛の館に残っているリクをつけることで合意した。二十四歳だが、二度も官僚級の落人逃がしを成功させている。官僚に比べれば、婦人は位が低い。放たれる間者もリクが経験した連中に比べたらたいしたことはないだろう。いずれまた政変は起きる。都は大体、二・三年単位で政の主が交代する。もしも、婦人が返り咲けば見返りがある。山塩が今年に入って若干値上がりしたのも、見返りの一つだった。
だが、アテは外れた。一人目の間者はリクに切り込まれた衝撃で腸が飛び出した。悶えながらカズネの方へ倒れこんだ。凄惨な光景を目撃したカズネは、間者を抱きかかえるようにして意識を失った。
カズネが間者の死体の下で目を覚ましたとき、あたりは血の臭いに満ちていた。リクが腕をもがれて呻く落人の胸元に、剣をつきたてた。狼がほえるような野太い叫び声をあげて、婦人は絶命した。俊敏だと信頼を得ていたリクが失敗した。自分の道選びも失敗した。カズネは吐き指を噛んだ。
   □
死体の前で怯えながら、自分の歯で爪をはがしているカズネをリクが不思議そうに見つめていた。「父さんも俺が母さんを殺したら同じように震えていた」と呟いた。「酒びたりでわめくことしかしないから、父さんが死ねと罵倒したんだ。俺もそう思った」その無感情な言い方で、リクがたった十歳で海辺に住む親元から離され、塩運びの集落に預けられた理由がわかった。彼は人を殺すようにと神に定められた人間だったのだ。
右手の爪が親指だけになったとき、膝を抱えて座っているカズネを背後からリクが抱きすくめた。「破傷風になるぞ」リクがなだめる。集落では一度も聞いたことのない温かい声。カズネが指を加えたまま振り向くと、リクはカズネを地に仰向けに倒した。前袷の衣をそっと脱がし竹筒から水を飲むと、カズネの指をはがし唇に接吻した。
リクの唇から流し込まれた水は苦かった。多分傷の炎症を抑える薬が入っている。カズネは吐き出した。婦人の叫びを思い出すと自分だけ助かることが憚れた。リクはそれでも諦めなかった。三度目のときカズネの目から涙がこぼれた。
飲み込んだことを見届けたリクはそっと胸をまさぐり、乳首の先を軽く噛んだ。びくっと、カズネの体が反応した。リクがにやっと笑う。初めて見る笑みだった。  
そのままリクは舌をみぞおちに這わせた。カズネはたまらず呻いた。袴の紐が解かれる。太腿を持ち上げられる。ひんやりとした風が秘部の茂みを通りすぎた。リクの手が花芯の突端をつまむ。カズネはかすれた声で応えた。やがて花芯から水溜りに足を踏み入れたような、ぴちゃっという音が聞こえた。カズネの胎内から生まれた水をリクがすすっていた。「嫌っ……」ざらりとした舌の動きに腰骨が熱くなる。カズネの息が浅くなる。死の光景が霞む。砂浜にかかれた文字が波によって消されていくように。それでも婦人の絶叫がカズネを現実に引き戻す。
「力をぬけ」リクが囁いた。目が合った。次の瞬間、石のように硬い異物がカズネの肉体に食い込んだ。「お母さん!」カズネは悲鳴をあげた。暴れるとリクに腕を押さえつけられた。やがて石は胎内で蛇となった。蛇は子宮をかき回す。
「……う」カズネは男に応えはじめていた。鈍い痛みに足の指一本一本がぴりぴりとしびれた。乳首の先がちりちりと痛い。乳房を引裂いて何かが出たいと願っている。産まれたいと願っている。カズネは産気づいた女のように、激しくあえいでいた。「何か」は心の深い処から徐々に浮上してくる。やがて姿を現した快楽という「魂」が、男の激しい息遣いに引き寄せられた。カズネは自らの唇を男に重ねた。歯がぶつかり合う。お互いの舌が絡んだ瞬間、激しい尿意を催した。腿の内側を温かい水がつたう。失禁していた。うっすらと眠気が漂いはじめる。カズネは、男が呻いて胎内に精を放った瞬間、すとんと眠りの闇に落ちていった。一緒に死の残像も闇に落ちていった。
   □
カズネは頬を叩かれて目を覚ました。リクの顔が見えた。木漏れ日が眩しい。起き上がって周囲を見渡すと、死体が目に飛び込んできた。ハエが一匹婦人の鼻先で円を描いている。一瞬、罪悪感が胸をよぎる。だが直ぐにその気持ちを飲み込んだ。平常心を取り戻したカズネは、立ち上がった。とにかく帰郷しなくては。太腿をリクの残骸がつっ、と流れ落ちる。カズネは冷たい水を感じながらアリアケ山に背を向けた。

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