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底なし耳/かもねむ

暗闇の中で、眼の前に女の裸体がある。今から俺とこの女は抱き合うだろう。しかし俺はこの女にまるで興味がない、この女の持つ「耳」以外。
俺の仕事は映画監督だ。何本か撮った自主映画が話題になり、一本だけ売り出し中の俳優を使い商業映画も撮った。興行的には全く成功しなかったが、何人かの評論家には高い評価を得た。何年か前に。最近、細かい記憶が曖昧になっている。一緒に仕事をする予定のプロデューサーから、次回作のテーマのようなものを確か与えられていたはずなのだがよく思い出せない。そういえば、往来の人間の何故か「耳」ばかりが気になるようになったのは、いつ頃からだったろう。他人と話をするのが億劫になり、駅のベンチで道行く人の耳ばかりを眺めながら一日を過ごす事が多くなった。耳という部位はグロテスクな形をしていると思う。まるで耳穴の内側から真っ赤な内臓がドクドクドクと流れ出し、それがそのまま冷えて固まったかのような形をしている。悪魔の嘲笑のように引きつったままの耳や、逆に能面のように無表情な耳もある。耳という部位は単に聴覚の入口なのではなく、何か人間を不安に陥れるような側面がある。俺はこの何ヶ月間で何千人何万人分もの耳を見ているうちそう思い至るようになった。
そして今夜いつもの駅で、前触れもなくその耳を見つけた。俺は女の後を追い、交差点まで来たところで女に、いや耳に声をかけた。俺の眼に狂いは無かった。その女の耳にグロテスクさは微塵もなかった。いや正確にはグロテスクさが芸術の域にまで高められているのだ。ホテルのバーでたわいもない話をしながら俺は隣にいる女の耳ばかりを見ていた。その耳は、昔AIDSで死んだ写真家の撮影したユリの花の写真に似ていると思った。死を目前して儚くも燃え立つその花のような美しさに、俺はヨダレが垂れそうになった。
今、部屋で裸になった女の耳だけがおれの眼の前に横たわっている。耳だけだ、暗闇の中で浮かび上がっているのは、もはや女の耳だけだ。いくつかのなめらかなカーブを描きながら隆起した耳。その曲線には一つとして無駄がなく、そしてすべてに意味がある。(俺にはそのすべてが理解できる。)そして耳の外側から奥の穴に向かって、一筋のなめらかな美しい螺旋がある。躊躇なく俺は自分の舌をその螺旋に添わせながら奥に向かって進める。するとどうしたことだろう。俺の湿った舌先がどんどん耳穴の中に入って行くのだ。ゆっくりゆっくりと俺の舌全体は耳穴の中に深く潜入し、同時に俺の全身も穴に吸い込まれるように、キリキリキリと凝縮されて行く。体中がひどく痛む。気がつくと俺は全身穴の中に入り込んでいた。中は真っ暗だ。なおも続く激しい痛みと自分の唾液の放つ臭気に耐えながら暗闇の中をあてなく突き進む。やがて人の気配を感じた。どうやら映画が始まるらしい。隣にいる男に尋ねると、「人間の五感を、それぞれテーマにした五つの短編映画」との事だった。実は当初予定していた映画監督が製作中に精神を病んでしまい、代役としてこの映画を監督したのが彼なのだという。
映画の始まりを告げるブザーが鳴り響く。まず五感の内の「聴覚」をテーマにしたという一本目が始まるようだ。
暗闇からスクリーンいっぱいに巨大な耳の映像が、ぼんやりと浮かび上がった。

3D文章ゼミ

テーマ:短編小説 - ジャンル:小説・文学

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