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旅田エレジィ/ビケ熊

 泰葉は四十路の半ばにして、行き交う客もまたまちまちなり。
 旅田新地といえば云わずと知れた旧赤線の街であり、平成のこの世にあってなお、開かれた頃のままの、大正期からの棟割りの長屋が、区画内を縦横に走る通りにいまだ三ケタもひしめく、大飲食街(売防法規定)である。
長屋の壁からは、一様に白い正方形の看板が突き出し、それぞれ「紅」やら「玉」やら「鶴」といった、いかにも縁起の良さそうな漢字をあてがわれ、通りの奥までずらり整然とつづいている。
 労働のあとにもうひと体力使おうと、ニッカボッカを履いた集団が、赤いじゅうたんを敷いた玄関の板の間で、顔見世のために鎮座する女の子を一軒一軒のぞいてまわる。「おにいさんどうぞ」というのもあれば「おにいちゃんおにいちゃんてッ」と、玄関前を客が通る度、竹やら清やらほうぼうの店のやり手婆あが客をひく。狭い通りをライトバンが徐行する。シーマもセルシオもメルセデスも、原付きもダイハツのこまいのも、歩き、チャリンコ、オスの野良犬までも、ゆっくりと通りを物色する。ネクタイ締めた三人連れの内の二人が「部長、この子、どないです?」と、出張来阪中の得意先の男に接待する。おどおどした学生も慣れたおじんもアジアの裏見物に来たバックパッカーも、やり手婆あにかかれば「目的はひとつでっしゃろ」とばかり、「おにいさん」とひとくくりにされて意中を探す。照明で可愛く照らされた女の子も、どこまでほんまか、ひとしく愛想のいい顔をして見せている。このメインストリート、若くて可愛いのをそろえた通称「桃色通り」の繁華を尻目に、区画の隅、通称「物の怪通り」に踏み入れる客は少ない。勝手を知らない客が迷い込んできて逃げていくか、勝手知った客がそれぞれの特異な趣味を満たしにやって来るかのどちらかである。

 ファスナーを上げながら客が言った。
「表のおばはん、塩の効いた数の子言うて。あんた、するするやったで」
ネクタイを締めようとしている男のためにワイシャツの襟を立ててやりながら、泰葉は、ソープ時代にヒトミという源氏名があるにもかかわらず、馴染みの客が自分のことを「数子ちゃん、数子ちゃん」と呼んでいたのを思い出した。粉をはたいて、ええ匂いさせて、手技舌技熟したところで、産道まではほどこしようがない。
「帰りにおばはんに文句言うたろ。ほな、おおきにさん」男が部屋を出て行った。本人に文句を言うのではなく、売り込んだおかあさんに文句を言う。キャリア二十年、別に傷は付かないが、店と客にとって、我が身が商品に過ぎないことを、泰葉は再度認識した。
「おかあさん、済みました。あの、さっきのお客さん」
「文句言うて帰ってったわ。しょうもない豚まん食わすなやて。うまいこと言うわ、はは。次来ぇへんやろな。数の子で売り込むのん、そろそろ無理あるな。これで七人目か、もう誤魔化しきかんわ。どないや、あんた、やっぱりスキン無し、みなオーケーで売ってかんか、やっぱり嫌か」
踏ん張りのきかない客も少なくない。チンポ見ただけで病持ち判断するのは、医者でも無理な話というもの。極薄0.02ミリぽっちであろうが、ゴムの皮一枚の意味は、大きすぎる。
「それよかあんた、三本とったんやろ。どないする、もう一本待つか」
「最近雨続きで、あの人現場から声かかってないみたいやから。待たせてもらいます」
「待つのは構へんけど、あいかわらず安定せぇへんねやな、あの穀潰し」
「いや、雨やから」
「関係ないわ。あんた都屋さんに入った頃からやろ。十年前から変わってへんで、あれ」
物の怪通りのここ「亀屋」に世話になる前は、桃色通りの都屋でやっかいになっていた。ミナミの風呂では若さと名器で鳴らし、都屋では名器持ちの三十路人妻で売り込んでもらっていた。四十をひとつ越えた日、都屋のやり手婆あは、その日から一年もの間「さいきん肥えてきたんちゃう」と言い続けた末に、「こないな仕事、いつまでも続けてたらあかんて。体もえらいやろ、悪いことは言わんて、な」と、気を遣うようなことを言いながら、仕舞いには「亀屋さんが、来てくれへんかて言うてたで。明日からでも来て欲しいて。うちは今日からでも構へんねけどな、あちらさんは明日からやて。あんたどないする、親方さんもええ人らしいから、行きなさい、そのほうがええ」と、追われるように亀屋に住み替えさせられた。

「とりあえず次の一本来るまで、三十分ほど奥で休憩しといで。ほんでスキンのこと、よぉう考えてみてや、な」
そうさせてもらいますと、玄関右手の部屋に入ったとたん、ぐうぅと腹の虫がなった。泰葉は腹に手をやり、(豚まん…)と言って帰ったというさっきの客の顔を思い出そうとしたが、たかだか二十分、主が下半身の遣り取りの中で、右の小鼻に黒子があったという以外、なんの印象も残っていようはずがない。
「おかあさん、チキンラーメンひとつ、頂きます」玄関のおかあさんに声をかける。
戸棚からひとつとって、水屋の引き出しの缶に百円玉をいれた。
「おかあさん、十円お釣りもらいますね」
返事はない。丼鉢に麺をあけた。
「お湯、頂きます」ポットの横の紙の小箱に十円玉を投げ込む。硬貨どうしのぶつかる音が玄関まで聞こえるように、少し強めに投げ込むようにしている。
「なんや、ラーメン食べるんか。お金入れたか」
小銭の音を聞きつけて、おかあさんが現れた。
「はい。ふたつで百円、入れました」
「ふん、そうか。どうする、玉子落とすか?三十円。ん、ひいふうみぃて、あんた、ほんまにお金いれた、わなぁ?」

死ねッ!業突く張りッ!亡者!下衆ッ!金、金、金ッ!スキン、チンポ、ヒモ、バイタ、豚ッ!豚ッ!豚ッ!糞ッ糞ッ糞ッ!クソがッ!借金、守銭奴、メス犬、バイタ、豚!豚!豚!糞がッ!惚気がッ!いに去らせッ!糞ッ糞ッ糞ッ!淋、梅毒、エイズ、チンポッ!死んだらええんか、屠殺せぇ、屠殺せぇやッ!!

「ちょっと泰葉ッ、泰葉て。どないしたんや、えらい顔してッ!え、どないしたんや」
「あぁ、おかあさん、すいません。ちょっと、考え事してました」
一瞬の逡巡かと思ったが、丼鉢のチキンラーメンは、すでにブヨブヨとのびきって、食べ頃をとうに過ぎていた。

テーマ:短編小説 - ジャンル:小説・文学

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