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ハジメテノ/エフ

 久しぶりに彼が帰ってきたので、早めの夕飯に寿司の出前をとった。
「お寿司、食べてね。あなた、好きだったでしょう」
 彼は微笑んでうん、と頷く。けれども、寿司に伸ばしかけた手を止めて、もう、お盆か、と言って、食卓の上に置いた胡瓜の馬に目をやった。
「あなたに聞いていた通りに用意してみたの」
 わたしが言うと、そうか、と彼が笑った。
 湿気た風が部屋に入り込んで、わたしの髪だけを微かに揺らした。部屋の中は静かで、ただ、蝉のじわじわという鳴き声が漂っている。
「霊がその胡瓜の馬に乗って帰ってくるって、本当?」
 割り箸を足に見立ててさした胡瓜を指差すと、彼は少しだけ首を傾げて、少なくとも、僕の田舎ではそう云われているよ、と答えた。
「あんまり馬には見えないけど」
 わたしが呟くと、彼は声を立てずに笑った。
「ねえ、お寿司食べてね」
 寿司桶の中身が一つも減っていない。遠くから帰ってきて、お腹が空いているだろうと思ったのに。
 迎え火もしたんだね。彼は、寿司に手を伸ばさずに言う。
「玄関で焚いたのよ。煙が出て、火災報知機が作動するかと、ひやひやしたわ」
 まだ少し、苦いような甘いような煙の匂いがしている。彼の田舎では白樺の皮を焼いて迎え火にするのだと聞いていたから、わざわざ取り寄せたのだ。この迎え火を頼りに、霊が帰ってくるのだそうだ。
「ここに、ご先祖様の霊も帰ってきたりしているのかしら」
 尋ねると彼は、ご先祖様の霊は田舎に帰っているんじゃないかな、と答える。
 それにしても、君に会うの、久しぶりだな。彼が言う。元気にしていた? 彼が笑いながら尋ねるので、まあまあね、とわたしは答えた。
「それより、お寿司食べないの?」
 彼の好物の、蛸の表面が少し、乾いてきてしまっているように見える。
 うん。彼が呟いた。僕も初めて知ったんだけど、どうやら、君の用意してくれた、決まった供え物以外は食べられないみたいなんだ。
「出前のお寿司は駄目なの」
 うん。ごめんな。彼が困ったように笑う。
「わたし、知らなくて。ごめんなさい」
 謝ると、彼は首を左右に振る。新盆だから、仕方がないよ。僕も君も、初めてなんだ。
 表で鳴き始めたヒグラシの声が部屋に入り込んで、霧雨のように湿度を持ってわたしに降りかかる。
「こんなに早く、あなたの為に迎え火を焚くことになるとは思わなかったわ」
 言いながら、蛸の寿司を一つつまんだ。彼の好物から食べてやろうと思った。わたしを置いていった罰だ。
 ありがとう。と、彼が言った。彼は微笑んで、蛸の寿司を咀嚼するわたしを見つめている。
 蛸を噛む度、水気のある甘味が口の中に広がる。蛸の、やっぱり少し乾いてしまった表面と、柔らかな歯ざわりが哀しかった。

テーマ:短編小説 - ジャンル:小説・文学

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