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せんべろ 富んちゃんの恋/輔

「シンちゃ。残波。残波のミゥク割りひとつ」
泡盛の残波をミルク割りで、ということだ。富んちゃんは「ミルク」じゃなく「ミゥク」と発音する。定位置は入ってすぐ正面のカウンター。残波のミゥク割りは富んちゃんのオリジナルだ。そんなメニューは無いけど古くからの常連だから店の人間も黙って出す。1杯400円。
俺が働くこの店は昔は酒屋の角打ちだったらしい。今は安くてそこそこうまい人気の立ち飲み屋。いつも早い時間から混んでいる。
富んちゃんは「せんべろの富んちゃん」と呼ばれている。「せんべろ」は「千円でべろべろに酔える」って意味だ。富んちゃんはいつも酒とつまみできっかし千円。それでいい気分になって帰る。常連たちは今日はどの組み合わせで千円にするのかを、ちょこっとだけ気にしながら自分の酒をやっている。
「サラダ。しらすの」
しらすサラダは200円。グラスいっぱいの残波ミルク割りとレタスいっぱいのサラダは一見すると健康的な朝食メニューのように見える。富んちゃんが来るのはいつも決まって火曜日と金曜日。時間は6時半くらい。富んちゃんは多分、独身だ。仕事も何をしてるのかわからないけど、分厚い爪に染み込んだ黒い汚れ、日に焼けた首、太い腕。袖や襟が擦れた作業服。汗じみて色褪せたキャップをいつもかぶっている。結構きつい仕事をしてそうだ。以前、常連じゃない客が富んちゃんの注文を聞いて「ミゥク」なんて外人みたいだな、とからかったことがあった。そしたら「おいらが子供んころはアメリカだったさ」とつぶやいて少しだけ悲しい顔になった。常連たちはなんとなく察してるし、その人が言いたくないことは誰も聞かない。子供の頃はアメリカだったせいなのか、おからやひじきといった日本のおふくろの味的なメニューを注文してるのを見たことが無い。
「ツナクラッカーちょうだい」
ソーダクラッカーの袋を開けて皿の片側にのせ、もう片側にマヨネーズ和えのツナを盛る。なんてこと無い感じだけど、意外にどんな酒にでも合って人気メニューだ。200円。
この店のメニューはほとんどが100円単位だけど、生ホッピーとサワー類はそれぞれシングル270円、280円と半端だ。富んちゃんはホッピーやサワーが好きじゃないんだと思ってた。だけど嫌いなのは10円玉の方らしい。アメリカのペニー硬貨に色が似ていて嫌いだと。思い出すからイヤなんだと。何を、とはそれを聞いてた常連も聞かなかった。思い出すのもイヤなことは聞いちゃいけない。酒がまずくなる。飲み屋での一番の、そして唯一のルールは酒がまずくなるようなことはしない、ってことだけだ。
「煮たまご、今日はある?」
煮たまごは100円。富んちゃんの好物だけど人気メニューだから売り切れのことも多い。
この日も売り切れ。
「もっとたくさん作るといいよ。やっこ、ちょうだい。それと塩らっきょ」
それぞれ100円。これで千円きっかし。食事代わりなんだろう。酒一杯に対してつまみは多目、野菜も多目。意外に中年の呑み助は食べ物に気を使っている。
そんな富んちゃんが恋をした。富んちゃんは何も言わないけど常連はみんな、そう思った。おかしいくらいバレバレだった。お相手は幸子さんだ。半年くらい前からぽつりぽつりと来るようになった。幸子って名のヒトは幸薄い人が多いって言うけど、ご多分に漏れず幸子さんもそんな感じだった。痩せて青白い顔、艶の無いおかっぱ頭。特に目の下のクマは酷く疲れて見えた。幸子さんは金曜日だけ来る。一週間の疲れを労うように抹茶豆乳ハイのシングル280円を一杯だけ飲んで帰る。「お願いします」と100円玉を3枚、カウンターに置いて、「すいません」と言ってグラスと10円玉を2枚受け取る。すするようにゆっくり、ゆっくり酒を飲んでいく。良く見ると結構美人なのに、幽霊みたいに見えた。そんな儚げな雰囲気に富んちゃんが、惚れた。入口近くの場所を常連は嫌う。次から次に客が来て落ち着かないから。でも、幸子さんの定位置はそこだ。富んちゃんも元々そこ。最初から場所的には近かった。それが金曜日の富んちゃんは入口の対面に移動するようになった。隣は照れくさすぎる。しかも相手が見づらい。対面なら幸子さんの様子を伺うのに都合がいい。ある週の金曜日、幸子さんが現れなかった。そのときの誰が見ても落ち込んでいた。まるでしおれた菜っ葉みたいだった。はじめはおもしろがってちょっかい出していた常連も、あまりの沈みように掛ける言葉も無かった。翌週の金曜日、幸子さんがいつもより更に青白い顔をしてやってきた。カウンターの中からお調子もんのタクがグラスを洗いながら常連たちの思いを代弁した。
「幸子さん先週来なかったじゃないすか。みんな心配してたんすよ。特に富…」
「タぁーク!!」
富んちゃんが遮る。静観していた常連たちが堪らず口を出した。
「おめ、富んちゃんよ、先週のうなだれようったらオレら見とれんかったぞ」
最古参のタケ爺がツブ貝の身を器用に引きずり出しながらつぶやいた。
「おうさ。タケ爺の言うとおりでよ。ここは、ほれ、当たってみい」
長い眉毛が目にかかるソウさんもループタイを直しながら続く。富んちゃんは口を真一文字につぐんで真っ赤な顔をしている。幸子さんはよほど疲れてるのかほとんど反応がなく、青白い顔のままだ。他の客のざわめきが聞こえなくなるくらい緊張した空気がカウンターのこの一角だけに流れた。
「…シンちゃ」
「はいっ!」
「ま、抹茶ミゥクハイ、シ、シングルを…幸子さん…に…」
「はいっ!抹茶ミゥクハイひとつ、いただきましたぁ!」
この日富んちゃんはいつもの残波ミルク割り400円とピザ300円、サラダ200円を既に頼んでいた。ポケットから百円硬貨を3枚取り出しカウンターに置く。抹茶豆乳ハイはあっても抹茶ミルクハイはメニューに無いんだけど、富んちゃんの恋のためだもの。
「幸子さん、これ、あちらの富んちゃんからです」
「え、あの、え?」
富んちゃんは長いまつげをしばしばさせながら、赤い顔して俯いている。富んちゃんと幸子さんの間に並ぶ常連たちはニヤニヤして幸子さんを見ている。ほんの少し、幸子さんの頬に色がさした。
「あ…いいのかしら?」
常連たちが勝手に深々と頷いた。
「すいません…いただきます」
細い幸子さんの指にグラスが重そうだ。持ち上げずにカウンターに底をつけたままひとくち、飲んだ。
「よしっ!」
タケ爺の心の声がつい、漏れた。富んちゃんはまだ下を向いている。
「富んちゃん、お釣り」
10円玉を2枚、富んちゃんの前のカウンターに置くと、富んちゃんはその20円を無造作にポケットに突っ込んだ。
「シンちゃ、ありがとな」
そう言うといつものように終わった器をカウンターにあげた。
「さよなら、おやすみ」
常連たちに挨拶すると、幸子さんにも軽く会釈をして店を出た。その背中がちょっとカッコよく見えた。

テーマ:短編小説 - ジャンル:小説・文学

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