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グッバイ、クレイジーホーム/でんでら

 私が一人で親知らずを抜いたことを、母は怒っていた。
 二十九歳にもなった一人娘が、一人で紹介状を持って大学病院に行き、診察をうけ「結果『ナンチショウレイ』の為、手術をおこなう」と決めたこと。
 そして母に一言の相談もせず一泊二日の入院をし、右下の歯茎の中で横倒しになっている親知らずを引っこ抜いてきたこと。
 怒りの原因はこの二点だった。
「どうして入院したって教えてくれないの」
 母は、一年前から一人暮らしをはじめた私のアパートへ、半月に一度は訪れる。私は外出したり、居留守を使ったりして三・四回に一度しか会わないようにしていた。
 ゴールデン・ウィークの初日、最初の来訪者は母だった。たぶん来るだろう、と予想はついていた。母は、休日の午前十時きっかりにチャイムをならす。
「あんた一人で大丈夫だったの」
 柔らかな低音のトーンで娘を案じる母の声に、私の体が反応する。締め付けられるような痛みだった。一瞬、私は母に抱きしめられている、と錯覚してしまった。でもよく見ると母の顔は浅黒い。母が必死で隠し通す怒りが、皮膚の表面からにじみ出ているのだ。母は怒っている。
「うん」
 玄関先で応対した私は、母の芝居に騙されないように腹の底に力をいれた。そうしないと、母のペースに巻き込まれて、しなくてもいい謝罪をするはめになる。謝罪をしないためには、母と極力、会話をしないことだ。
「顔がこんなに腫れて……やっぱり訪ねてきて良かったわ。全く、一ヶ月間も連絡をよこさないなんて、親不孝の証よ」
「……うん」
 私は両手をぎゅっ、と握り締めた。視線を母の履いてきたピンヒールの先に落とす。絶対に謝るもんか。世間では半年も親と連絡を取らない人もいるのだから。唇をかみ締めて黙りこくっている私の側で、母は大げさなため息をついた。
「ねえ、腫れ方がおかしくない?父さんが親知らずを抜いたときは、その半分くらいしか腫れなかったわ」
「ふうん」
 父は町医者で抜いた。多分、軽症だったのだろう。私は町医者では手に負えないから、大学病院で抜いたのだ。術後の快復ぶりに差がでるのは、誰だってわかることだ。でも母はわからない。案の定、母は玄関の床に思い切りヒールのかかとを打ちつけた。
「何、その言い草っ。お母さん、みな子のことを心配してやってんのよ」
「……」
「……ほんと、冷たい子だわ。父さんが言うとおり」
 母の声が涙声になっている。私は、思わずごめんね、と言おうとして顔をあげた。母と目があった。母のかすかににごった白目が血走っていた。猪のようなとんがった目が、薄暗い玄関の中で一瞬だけ光ったようにみえた。獲物を狙っているように見えたとき、私の心臓がごんごんと、大きな音を立てて鳴った。おかげで、母の文句が小さく聞こえる。
「あんた何が不満だったの。お母さん、三食世話して部屋の掃除もしてあげたわよね。雪の日は誰よりも早起きして駐車場の雪かきをしてあげたでしょう。それなのに、勝手に家を出て行って」
 母はまくし立てるように言う。
「昔から何も出来ない上に、恩をあだで返すようなことばかりするのよね。これも父さんの言うとおりだわ」
 そうだ。私は昔から何もできなかった。八歳のとき、母にお使いを頼まれてビールを買ってきたら「いつもの銘柄と違う」と叱られた。母から具体的な銘柄の指定はなかった。文句を言ったら「いつも見てんだから、覚ろ」と母に頭を叩かれた。
 十歳のとき、風邪で倒れた母が「おかゆを食べたい」と呟いた。私はすぐに台所へ飛んでいき、おかゆを煮た。段取りが狂う、と今まで台所に立たせてもらえなかった私が、必死で考えて作った一品だった。ごはんに水をたっぷり入れて、味噌と醤油と塩で味付けして煮込んだ。母は一口だけ食べると「最低だわ」と吐き捨てるように言った。実際、食べてみて本当に最低だった。私は、役に立たない自分の手の甲と唇をつねった。おしおきだった。
 私は自分がいかに役立たずな子か、わかりきっていた。食べたいものがあっても、自分では作らなかった。私みたいな役立たずにできるわけがないから。母に全てを任せるしかなかった。そして年齢が上がるにつれて、料理だけではなく、部屋の掃除から着る服の組み合わせに至るまで、母に任せるようになっていった。実際母のほうが、掃除が上手いしセンスも良かった。
 私は、部屋の掃除がしやすいように、物の配置に気を使うようになっていった。大人になっても母の選んだ服をきていた。必要があって、一人で化粧品を選ぶときは母の顔を思い浮かべながら、口紅の色を決めた。母が似合うと言ってくれる色はどれだろう。しっくりくる口紅を選び、つけて帰宅すると母が叫んだ。「なんなの、魔女みたいな真っ赤な口してっ。父さんがびっくりするわ」
 その夜、私は台所で目をさました。いつの間にか、右手には包丁が握られていた。包丁は、左手首の青い筋に狙いを定めている。私は無意識のうちに、自殺を図ろうとしていた。
(――私、この家にいたら死ぬ!)
 私は家を出ることに決めた。一人暮らしを反対する、母のどやしを聞くたびに、あの日、台所で包丁を握った自分を思い浮かべた。
(死にたくない)
 墓石のように冷たく地面からそそり立つわが家から、脱出したかった。その思いは、私を確実に前進させた。保証人なしのアパートを見つけ契約したとき、私は自分のことを少しだけ好きになっていた。
 自分ひとりでできたから。

「お友だちがね、母さんのことかわいそうだって。今度旅行に連れて行ってくれるの」
 母の勝ち誇ったような言い草が、耳障りだった。母はいつだって、人の評価ばかり私におしつけてくる。人の評価、ばか、り……。私はため息をつこうと口を開いた。
「お母さん、お母さんは私こと、どう思っているの」
 私は思わず両手で口を塞いだ。母とおしゃべりするつもりなんか、なかったのだ。私は慌てて、自分自身に言い訳をした。
「どう、って……冷たい子だっていったじゃないの。一人じゃ何にもできないし。話を聞いてるの」
 母の唇の端が軽くゆがんだ。あざけりの笑みは、母の得意技だった。
「それって、お父さんの言い草でしょ。お母さんはどう思っているの」
「同じよ」
「ふうん。お母さん、お父さんのいいなりなんだね」
 母の唇がへの字のなった。目つきが鋭くなる。
「父さんがこう言った、友だちがああ言った。で、お母さんあなたの意見は?」
 母は沈黙したままだった。あー、と私の口から気の抜けた声が出た。
「お母さんの心は、空っぽなんだ」
 強い風が、アパートの前を通り過ぎた。
 春の風にのって、遅咲きの桜の花が舞う。まるでいつか見た、舞台の最終幕のようだった。
 私は無言で、母を玄関の外に押しやった。

テーマ:短編小説 - ジャンル:小説・文学

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